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1月21日はライバルが手を結ぶ日?

薩長連合

 

1月21日はライバルが手を結ぶ日

1月21日はライバルが手を結ぶ日とのことらしいが

なぜ1月21日はライバルが手を結ぶ日か?

その理由は・・1866(慶応2)年の時は1月21日長州の木戸孝允、薩摩の西郷隆盛らが土佐の坂本竜馬らの仲介で京都で会見し、倒幕の為に薩長同盟(薩長連合)を結んだ日なのです。

幕末当時犬猿の仲(ライバル)にあった薩摩藩と長州藩の間を、坂本龍馬がとりもって同盟を結ばせたという話はあまりにも有名ですが、なぜ薩摩と長州は手をとりあわせ、ライバルが手を結ぶといような事をなぜ坂本龍馬が成し遂げる事ができたのでしょうか?

その最大のち理由は・・お互いの利害が一致したからというのが一番の理由と言われています。それではそのお互いの利害とは何でしょうか?

薩摩藩の当時の現状

当時長州藩のライバルである薩摩藩は、琉球藩との密貿易やイギリスとの繋がりによって財政が潤っていたのです。そのため当時、力が弱まっていた幕府から薩摩藩を見るとその影響力は大変な脅威だったのです。そこで薩摩藩の力を削ぐという目的で、幕府は策略します。それで、幕府は薩摩藩に対しても長州討伐という名目で薩摩藩に長州藩を攻めるよう仕向けたのです。

しかし、薩摩藩からすると、ここで長州藩と戦争を行ったりしてしまえば、多くの犠牲者が出たり、藩の財政支出が膨大二なり兼ねず、そうなると薩摩藩の藩力が衰えてしまうのは目にみえています。そうなると幕府の思うツボになってしまいます。

長州藩の当時の現状

薩摩藩の一方で長州藩は藩の存続に関わる状況だったのです。元来攘夷を掲げていた長州藩は当然のことんながら倒幕運動を展開していたのです。京に登って様々な攘夷の為の策略を目論んでいました。

また、同時に長州藩は朝敵(天皇の敵)とされたために武器の購入を禁止されていたのです。そのために戦う武器すら入手困難だったのです。また、当時武器を買うためには幕府の許しを得る必要があったのです。このような状況とは、他藩から攻められることになれば武器が無いので降伏するしかないという絶体絶命絶体絶命な状況にあったのです。

両藩の思惑の一致

藩力が落ちるという理由から薩摩藩は戦争をしたくないし、できるなら倒幕をしたい。ただし倒幕運動の表には立ちたくないというのが薩摩藩の思い。

それに比べて長州藩は武器が欲しくて、しかも倒幕をしたい。この両者の思惑が一致したわけです。

このような状況下で坂本龍馬がその才覚で薩摩藩と長州藩の間をとりもって、薩摩藩は幕府には内緒で長州藩の代わりに武器を購入し、これを長州藩に提供するという盟約(薩長同盟)を交わしたのです。

 

この盟約(薩長同盟)によって薩摩藩は長州藩との戦争が回避でき、また幕府に裏切り者とされても、長州藩の影に隠れることができます。そして長州藩は買いたくても買えなかった武器を購入し倒幕運動に専念できた訳です。

このような薩長同盟のいきさつから考えると1月21日はライバルが手を結ぶ日というよりは

薩長同盟の日

とダイレクトにした方がインパクトがあり分かり易いと思うのだが・・